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女性登用のむつかしさ

投稿日:2023年8月21日

日銀中堅幹部としてそれなりに腕を振るっていたころのことである。

当時の日銀総裁は尊敬する三重野さんであった。病身の父を満州に残し母親と苦労しつつ引き揚げてきた彼は、中国への愛着が人一倍強く、日中双方の中央銀行幹部が定期的に懇談する場を設け、双方総裁以下5名ずつ中華料理で会食後ざっくばらんな意見交換の場が開催された。メンバーの一人として末席に参加していたが、中国人民銀行の行長(総裁)は鎮慕華という温和な女性で、そのほか人事部長と天津支店長が女性であった。一方、こちらは黒ずくめの男性集団でその違いに大変驚いた記憶がある。

その当時、わが国でも男女雇用均等法が導入され、日銀も幹部候補生として女性総合職の採用(各年次わずか1名)が始まっていた。名古屋、大阪と営業課長職で赴任していたが、小生の下へ毎年のようにこの女性総合職1名が送り込まれてきた。それなりの気配りはしたが、なるべく公平な対応を心掛けた。しかしその後の彼女たちを見ると、ほとんどが「ガラス天井」に当たって中途退職、「外資系金融機関」や「シンクタンク」、「学者」などへ転出してしまっていた。

大阪支店時代には、総裁の英断もあり、同支店でも女性幹部候補生採用面接が導入され、京大卒を中心に毎年複数名まとまって採用したが、彼女たちはいずれも中途退職することなく、その後支店長や局長クラスの要職を経験、OB会での現役幹部との交流の場に挨拶に来てくれ、「民間金融界では女性幹部登用がなかなか進まない中にあって日銀の意欲的な取り組みに拍手」と喜んでいるところである。

その後、支店長や審議役を経験した後、山口県の「バブル崩壊の後遺症でいまにもつぶれそうな弱小地銀があるが、君ならつぶさずに立て直して呉れよう」との肝いりで、同じ三重野総裁の命により地銀経営に乗り出すところとなった。

地銀経営では、不良債権処理に奮闘する一方、「女性登用」にも意を砕いた。とりあえずできるところから始めようということで、支店の次長職に「主査」というポストを設け60余りの支店中半数近くに「女子主査」が誕生したが、むしろ支店長とのコンビネーションが功を奏し、支店業績は「女子主査」設置店の方が良くなっていった。その後女性支店長や役員登用も進め、「男女雇用均等推進先進企業」として、厚生労働大臣表彰や、内閣府の男女共同参画会議「有識者議員」に選任され、いくつかの大学で「男女共同参画社会実現へ向けて」特別講義する機会にも恵まれた。
しかし、その後の状況を見ると、支店次席クラスはともかく、支店長や役員登用となるとむつかしく、離任後もなかなか成果を上げていないようであり、同業他行を見ても規模の大小を問わずダイバーシテイーが進んでいないようである。
ただ、人選が功を奏した経験もあり、かねてからその実力に着目して非常勤役員に登用したN嬢(夫君は東大同窓の大学教授)は、横浜市長に乞われて副市長職をこなした後、得意の国際感覚と公営事業改革への造詣の深さが着目され仏系水道事業民営会社の会長職にも抜擢されており、その先見性と敏腕ぶりから、このほど日本初の経団連女性副会長の要職に推挙され財界活動の一翼を担って活躍しており、こうした好事例の広がりに期待しているところである。

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