
囲碁が唯一の趣味であった父のDNAを受けてか、かなり幼少期から将棋よりも囲碁にはまっていた。
おぼろげな記憶では小学校低学年のころ、80歳を超え片方の目しか見えなくなっていた曾祖父からルールを学び手ほどきを受けた。その後、実家に帰ると必ず囲碁の相手をさせられた父がまさしく「碁敵(ごがたき)」となり、分不相応な碁盤を挟んで「待った待たない」と口喧嘩することも少なくなかった。ただ、父子とも腕前はさっぱりで、近隣碁会所の囲碁大会でも、「段位クラス」に届かず、小学生の女の子に負かされることもあった。
青春期は、囲碁好きの生涯の友・稲垣君と学窓で出会い、地銀経営後に自ら立ち上げたベンチャー支援ビジネスを手伝ってもらいながら、彼が幹事役で月一のペースで碁好き5~6人が集まり、神田神保町の学士会館で「ランチタイム囲碁」がスタートした。6年前、小生が入院中に煙草を手放せなかった彼が肺がんで亡くなり、心にぽっかり穴が空いたが、その後釜をやはり囲碁好きの水泳部後輩のH君が幹事役を引き受けてくれ、「ランチ囲碁」は会館休鎖の今年まで30年近く続いた。ただ、とりわけ病後はあまり手筋を読まないこともあり、「出ると負け」状態だったが、最後の一局だけは棋力ナンバーワンのO君(小学同級生)に「中押し」で勝ち、初代幹事の親友に手を合わせつつ報告した。
日銀時代は、同じ舎宅に住んでいた同期の岡田君が「碁会所に通っている」とのことで、笑顔を絶やさない彼の人柄に惹かれ時々盤を囲んだが、新人のころと違いかなりの腕前になっており、苦杯をなめることが多かった。学生時代ラグビーで鍛えた頑健なスポーツマンだったが、残念ながら数年前に「帰らぬ人」となり、八王子のご自宅まで弔問に出かけた。OB会の小冊子に「日の友」というのがあるが、「笑顔の岡田君逝く」と題して在りし日の彼と和やかに碁盤を囲んだ懐かしい思い出を綴った。
老境に差しかかり、余暇の徒然に始めた「パンダネット」(有料パソコン囲碁)は今も続いており、リモートワークの合間を縫って、世界各国からやってくる見えない相手と「一日一局」のんびりペースで気分転換している。