
山崎ハコという伝説的なフォーク歌手がいる。そんなにメジャーではないが、暗いムードを漂わせながら透き通るような声で歌うその声がしんみりと心に響く。デビュー直後は中島みゆきの再来と注目されていたが、ユーミンほどのメジャーさはない。彼女のデビュー曲に「望郷」という素敵な歌がある。
この歌は「青い空 白い雲 菜の花の小道を駆け回り 蝶々と遊んだふるさと・・・」のゆっくりとしたテンポではじまり、ラストでは「帰ろうか 帰ろうか あの家へ帰ろうか あのうちはもうないのに」の哀しい弾き語りで終わり、ギターを奏でる彼女の姿が遠景に映る。さみしくて 哀しくて、ギター片手に故郷の大分県日田を離れ都会の横浜に出てきた彼女が一人暮らしをはじめ、「やさしいと思っても みんな他人さ・・・」とつぶやきながら、自らの彷徨する若い日の実体験を、心の赴くままに弾き語ったしんみりとする歌曲である。
この「あの家はもうない」の歌曲で自らの人生が重ねて思い出される。
バブル崩壊の後遺症であえぐ山口県の弱小地銀の経営立て直しに四苦八苦していたころのある日、生まれ故郷鳥取の片田舎の小学校同級生M君(ワイフも同級生でローカル線の駅長さん)から一本の懐かしい電話が入った。「実はちょっと相談したいことがあって、同じ町内の区長さんと伺いたい」とのことである。アポの日に故郷の名品「松葉ガニ」をぶら下げて友人と区長さんがやってきた。相談事は、「村内にあった子供たちの遊び場がなくなってしまった。君の故郷の家はすでに長い間空き家になっているが、子供たちの遊び場に譲ってもらえないだろうか?」とのことである。
当時まだ健在であった家付き娘の母親に相談してみることとした。さっそく母親のほか相続権のある弟、姉(故人)の遺児(おい、めい)に諮ったところ、母親からは「お父ちゃん(婿養子)が好きな家だったので、敷地内の隅っこでいいから寄贈者としてお父ちゃんの名前を残してもらえれば大丈夫」とのことで、すんなりまとまり、鳥取市役所に「無償譲渡」することでトントン拍子に進んだ。時々盆やお彼岸の折に菩提寺を訪れ、この「いまはもうない」家の前を通るが、滑り台やブランコ、鉄棒が敷地の跡地に敷設され、近所の子供たちが嬉しそうに遊んでおり、ワイフともども「あの頃は大きなヤマモモの木や古い井戸旗に隠れながらかくれんぼをしたなー」と思い出しながら、少し寂しげな笑顔を交わしている。