
先日、長年の友人である小林勝輔君から久しぶりに電話がかかってきた。
用件は「このほど例の京都葵の会が200回を迎えるということで、記念誌を出すことになった。
いろんな方に寄稿していただいており、ぜひ貴兄にもお願いしたい」という話であった。
彼は、この会合の発起人代表で、いまも顧問格でサポートしているという。
小生も、スタートして間もない頃にちょっとした内輪話をしたことがあり、その後も何回か会合に参加していたので、快く引き受け「京都葵の会とベンチャー経営者の育成」といったテーマで以下のような駄文をまとめた。
今から30年ほど前、当時日銀の課長職で大阪支店に勤めていた頃のことである。
1年後輩の三井銀行勤務の小林勝輔君から「京都市内の小さなホテルで京大40年代卒の会という名前でささやかな集いをしているが、何か話してくれないか?」と頼まれ、バブル崩壊後の激動する金融界について、現場での実体験を中心に生の姿について気さくに話したことがある。
その後、発起人代表の小林君と敏腕幹事の野崎治子さん(堀場製作所勤務)の名コンビが、持ち前の3つのワーク(ネットワーク、フットワーク、チームワーク)をフルに活かして、この会合は大きく羽ばたき、会員数も200人近くになり、このほど200回の記念誌を出されるようになったのはまさしく「継続は力なり」の手本であり素晴らしいことである。
ともかく講師陣がいろんな分野の「ひとかどの人物」で、俳優の辰巳琢郎、元特捜検事の堀田力、前原衆議院議員、中西輝政教授等々錚々たる顔ぶれで、参加者の輪が大きく広がっていったのもうなずける。
ただ、小生は日銀勤務を終えた後山口県に居を移したこともあり、この集まりへの参加が遠のき、時折小林君から消息を聴く程度の付き合いとなってしまった。
山口の地銀経営卒業後は、かねてからのライフワークである「ベンチャー経営者の育成」に注力、今のMRI社を立ち上げ早くも13年目を迎えようとしている。
親子ほども年の離れた経営者が多く、何かと未熟さも目立つが、一方でこちらが教わるところも少なくなく、「生涯一書生」を胸に刻みながら老骨に鞭打っている。