社長ブログ

出来事

「100円ショップ」創業者逝く

投稿日:

過日、広島郊外の地で「100円ショップ」の草分け的存在であるダイソーの矢野創業者が亡くなった。この怪物経営者とは不思議な思い出があり、今でも記憶に残っている。

出会ったのは、広島大学近くのとある倉庫置き場の片隅にあったダイソーの本社であった。

こちらは山口県の弱小地銀経営で四苦八苦、足かせとなっていた不良債権処理を急ぎながら、一方で前向きの施策を求めてベンチャー経営者発掘へ向け自分の足で歩きながら汗を流しているところであった。

お目にかかるや否や「私はこれまで夜逃げを2回もやりました。逃げるためにはこんながらんどうのような倉庫が一番ですわ」、いきなりこう切り出されて度肝を抜かれた。

がらんとした倉庫の一角で働いているのは、ほとんどが女性で、うずたかく積まれたこまごまとした商品の開発にせわしなく動きまわっていた。「細かいものを作り出すには、男よりも女のアイデアが大事ですわ」女性活用のヒントをもらったように思った。

昼時になり失礼しようとすると呼び止められ、「大橋さん、せっかくの出会いですから広大生がよく利用する寿司屋にでも行きましょう」と、こちらの乗ってきた車の助手席にちゃっかり便乗、小さな寿司屋さんに半ば強引に案内された。店に着くやいなや、年配のおかみさにおしぼりやお茶の出し方からきめ細かくアドバイス、「ここはウニやイクラなど高いもんはあまりないけど、イカやタコの味は間違いないですわ」と宣伝も忘れない。

そして、帰り際には「今回はいいお客さんを紹介したんでサービスしといてや」とにっこり。

ちゃっかりしているが、なぜか憎めなく、「会社はつぶれるもんですわ」「私は物事を悲観的にとらえ、自己否定することをモットーにしてます」「でも今回の100円ショップはきっとうまくいきます。そしていずれ100円ショップが合言葉になっていくように思います。

七転び八起き、チャレンジ精神はいつまでも忘れません」。

小太りの体格で浅黒い顔をほころばせながらニヤリとしていた当時を振り返り、その後の100円ショップの急速な普及を学生街の寿司屋とともに懐かしく思い出した。

-出来事

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

「あの家はもうない」

山崎ハコという伝説的なフォーク歌手がいる。そんなにメジャーではないが、暗いムードを漂わせながら透き通るような声で歌うその声がしんみりと心に響く。デビュー直後は中島みゆきの再来と注目されていたが、ユーミ …

阪神淡路大震災から25年

日銀の広島支店長として赴任中の早暁、突然の激しい揺れに「地震だ」と叫びながらワイフ共々ベッドから跳ね起きた。テレビをつけるとほどなく、まるで映画の一場面のようにちょん切れた高速道路にぶら下がるように傾 …

早朝ゴルフの懐かしい思い出

 半世紀前の昭和45年、社会人になりたての頃の思い出である。 同じ社宅に住む3人の先輩から「東大ボート部の練習所でもある戸田川の河原コースで夏場だけ早朝ゴルフが超割安でできるようになった。君はスポーツ …

落語のある小料理屋での同窓会

時々集まる同窓会仲間から「秋葉原にちょっと面白い小料理屋があるから、そこで暑気払 いをしないか?」との誘いがあった。 早速10数人が集って足を運んだところ、そこは「やきもち」という一風変わった名前のお …

あるベンチャー経営者のちょっといい話

今から3~4か月ぐらい前のことである。 「今年の冬は暖かいね。この分だと桜の開花も早そうだね」と、会社のスタッフとのんびりそんな会話を交わしていたとある日の午後、取引先の社長さんのご紹介で、あるベンチ …