
鳥取の田舎町で生まれ、幼少期を過ごした。
戦後色があちこちに残り、若いアメリカ兵が退役将校の父に連れられて時々自宅にやってきた。ジャック(白人)とクロウ(黒人)のふたりには可愛がられ、チョコレートをよくくれたが、遊び仲間のガキ大将に見つかるとすぐに巻き上げられるので、隠すのに苦労した覚えがある。
その小さな田舎村にはもちろん幼稚園はなく、無医村でもあった。
それでも、小学校に入るころにはお医者さんが見つかり、身体検査になるとといきなり満州から引き揚げてきた大柄で眼鏡をかけた口数の少ない怖い校医さんに聴診器を当てられ、ごつい指で「トントン」と胸をたたかれ、こわごわと逃げ帰ったこともある。
この「怖い校医さん」の次女と結婚することになり、その後義父としていろいろ薫陶を受ける羽目になった。
ともかく子供の頃は体を動かすことが大好きで、夏になると近くの小川やため池で水遊びが日課のようになっていた。
村の鎮守様が祀られている神社の裏手にちょっとした湖沼があり、ここには泳ぎに自信のある子供しかやってこなかったが、雨上がりの蒸し暑い日とあって泳ぎ自慢たち数人でたわむれていたところ、草間から泳ぎに加わりたいとやってきたのか大きな蛇がぬるぬると湖面にせり出し、かなりのスピードでこちらに向かってきた。みな声を合わせて一斉に潜りしばらく湖中で息を凝らし、この大蛇(たぶん青大将だろう)が通り過ぎるのを待った怖い体験もある。
このように、水泳との出会いはかなり早く、学校のクラス対抗戦などではリレーのアンカーに選ばれたりしたが、中高時代の部活はなぜか「卓球」や「柔道」で、水泳部として本格的にのめりこむのは大学に入ってからだった。
その後、水泳とのつながりは長く続き、社会人になってからも職場の水泳部に所属していたが、何しろ部活経験者が少なく、インターバンク(銀行団)の水泳大会があると、フリーはもちろん、バタフライや背泳さらには個人メドレーまで駆り出されへとへとになったこともある。
最近は自宅近くのスポーツジムに通い、「フルタイムプール」というコースで自由遊泳を続けていたが、さすがに寄る年波には勝てず、先日このコースからも脱会、長く続いた水泳との付き合いからもようやく卒業した。