
このご時世、好きな作家の長編物をなるべくゆっくり丹念に読むよう心掛けている。
目下、山本周五郎の「ながい坂」(上下2巻)を時間かけて読んでいる。すでに2~3回読んでいるので、筋書きはおおむね頭に入っているが、細かいところで新しい事実を知ることも少なくない。今回は、読み始めが一か月近く前だが、まだ一巻目の中ほどといった遅読である。
これまでは「速読」「早読み」が得意で、早い時には文庫本だと一日で一冊を読みおえるほどで、ワイフからは「ななめ読み」とか「飛ばし読み」と揶揄されることが少なからずあったが、今や様変わりである。
その間、散歩やら、パソコン囲碁対局などいろんなことをやりながら、気が向いたら「ながい坂」の主人公、三浦主水正に舞い戻っている。おかげで主人公や彼を高く評価する藩主飛騨守昌治の思い入れようが手に取るようにわかってくる。
注意深く、気配りのきく逸材であり、薬草などにも関心が深い。先見性にも優れ、早くから未曽有の大災害時の対応などでも、将来を見越した細心の目配りはもちろん、緊急時の対応でも目を見張るような獅子奮迅の活躍をする。
一介の平侍から瞬く間に重職に上り、嫉妬も絡んでいろいろな謀略にも出会い、心血を注いだ堰堤工事も中止のやむなきに至る。この事件そのものが「藩主継承」をめぐる争いに根差したものであることも知る。無類の読書家で、蔵書を片っ端から読みこなし、謎の圧巻「拾礫紀聞」に出会う。時に平然と時に知略を尽くしていばらの道を切り開いていく。数多の苦境にさらされるが、森の守り神ともいえる年老いた木こりや神社の寺子屋で教えた貧民の子供などに陰に陽に援けられ、こうした無名の輩からの信望もこの上なく篤く、厳しい難局を着実に乗り越えていく。
私生活では決して順風ではなく、常に「父母とも私を生んだわけではない」と思い込んでおり、孤独の哀れさが漂う。また、元服を迎え要職の娘を妻としてめとるが、夫婦関係は当初冷え切っており、25歳まで寝所を共にすることがない。嫁ぐ直前に勝気な妻つるは馬にまたがり鷹狩りに出かけるが、男勝りのつるは乗馬の際に鞭をわざと落とし、婚約中の主水正に「鞭を拾え」と命ずるほどである。輿入れの際もそれまで使っていた女中頭を連れての嫁入りに、主水正から叱責されるが、なかなかひるまない。しかし、のちには夫婦間の愛情は固い紐がほぐれるようにほどけ、勝気の妻が夫の寵愛に深くおぼれていくさまがいかにもなまめかしい。このあたり、丹念に書き下ろしていく周五郎の筆力もなかなかなものである。
一説によると、「徳川家康」の幼児期にダブるところが多い、との見方もあり、また一説では「作家の山本周五郎自身が自らの生きざまの手本にしたのでは」との見方もある。
「人生」という長い坂に人間らしさを求めて、苦しみ喘ぎながらも一歩ずつ踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた本書は、周五郎最後の長編で、数多なる周五郎文学の到達点を示す作品でもあり、丹念にゆっくりと読み込んでいくと、この味わい深い作品から周五郎という作家の叫びが活字のあちこちからじんわりと伝わり、巧まざる人生訓が知らぬ間に心にしみこんでくる。
もう一つの周五郎の長編物「樅の木は残った(全3巻)」の原田甲斐とは一味異なるが、何れも魅力あふれる人物として描かれており、こうした時期に手にするには最適の時間稼ぎの好著である。