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「昭和の日本」が生んだ二人の名経営者

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本コラム欄で以前、「コロナ下とあって、読書は速読よりも遅読がいい」と薦めたことがある。

自らも「遅読」を実践しようと、この一年間で大好きな山本周五郎の大作中の大作「ながい坂」(2部作)を半年かけて熟読、さらに続いて、あの仙台藩伊達騒動の首謀者とされる逆臣原田甲斐の魅力的人物像に絞って周五郎がじっくりと描きこんだ長編小説「樅の木は残った」(3部作)をまさにページをなめるように読み漁り、年の瀬近くなって本を閉じたところである。

このところは、さすがにそのほかの本にも手を出すことが増え、最近では苦悩する地方銀行の課題について多面的に取り上げた「金融革命元年、未来の銀行」(橋本卓典著)に続いて、新総理の「政治家の覚悟」(菅義偉著)を読み終えた。

しかし、この2作はいずれもちょっと固く、コンビニの書籍コーナーに並んでいる面白そうで、肩の凝らない「昭和の日本」(歴史ミステリー研究会編)を手に取り、このほど読破したため、このコラムでは昭和時代の様々な出来事の中で、ちょっと気に入ったいくつかのことに少し触れてみたい。

本の帯には「戦後、急成長した日本で人々はどんな日々を過ごしていた?・・・教科書では教えてくれない昭和の日本」とのくだりがあり、立ち読みすると何となくそそられる。

第一章 戦争から復興する日本
    集団就職、ニュータウンと公団誕生、テレビ放送開始、生活変えた「三種の神器」、人口一億人突破、カップヌードル発売、コンビニエンスストア登場

第二章 昭和に生まれた大ブーム
    「君の名は」の大ヒット、映画の観客は11億人超、旅行ブーム到来、ひと夏だけのブーム「太陽族」、原宿の竹の子族、視聴率62%の「おしん」

第三章 人々を熱狂させた大イベント
    東京タワー完成、皇太子美智子妃御成婚パレード、高速道路・新幹線開通、東京オリンピック開催、ビートルズ来日、大阪万博開催、東京デイズニーランドオープン

第四章 新しい国の始まり
    国連加盟、自衛隊発足、南極観測隊「宗谷」出航、黒部ダム完成、建国記念日復活、沖縄の本土復帰、「所得倍増計画」実現、海外援助額世界一、

第五章 昭和を動かした人々
    戦後日本を率いた吉田茂、昭和を歌い続けた美空ひばり、プロレスブームを生んだ力道山、世界的映画監督黒沢明、漫画で未来を描いた手塚治虫、野球界のスター長嶋茂雄、海外に日本製品を売った盛田昭夫、経営の神様松下幸之助、日本列島改造の田中角栄

第六章 昭和の大事件
    ビキニ水爆実験、未解決の三億円事件、機動隊の東大安田講堂突入、元日本兵の戦地からの帰還、大混乱のオイルショック、世界を巻き込んだロッキード事件、国中を巻き込んだグリコ・森永事件、政界を揺るがしたリクルート事件、昭和天皇崩御

タイムスリップして、それぞれの思い出にしばしふける。

この本では、ベンチャー経営者の鑑として取り上げられた、ソニーの生みの親、盛田昭夫と経営の神様松下幸之助について触れている。その中でどんな取り上げられ方がされているか?駆け出しのベンチャー経営者のご参考になれば、との思いで以下ご紹介したい。

盛田昭夫
 戦後、「メイドインジャパン」といえば粗悪品の代名詞とされていた。その悪評を覆した最大の苦労人の一人が、ソニー創業者の盛田昭夫。彼は、盟友井深大と二人三脚で数々のヒット商品を生み、ソニーの名を世界に知らしめ、「アメリカでもっとも有名な日本人」と称された。
大正10年、名古屋近郊の老舗酒屋に生まれた彼は、母親の趣味が蓄音機でクラシック音楽を聴くことだったというから、この母親の趣味がその後の彼の人生に影響を与えたのかもしれない。理系の道に進んだ彼は電子工学を専攻、そこで井深大と出会う。ソニー前身の東京通信工業を立ち上げたのは戦後間もない昭和21年である。海外展開を考えていた彼は、社名変更を決意、ラテン語で「音」を意味する「SONUS」と可愛い坊やを意味する「SONNY」を掛け合わせ単純化した「SONY」が誕生する。すべての製品にこの四文字をいれ、世界中を飛び回ってどぶ板営業、昭和30年には初の日本製トランジスターラジオを担いで単身ニューヨークに乗り込む。昭和54年売り出しのウオークマンも、「録音できないテープレコーダーは売れない」という業界常識を打ち破り、アメリカではその後ヘッドホンをつけながらジョギングするのが大ブームになった。平成10年の米タイム誌「20世紀の20人」に選ばれた彼はその翌年78歳でこの世を去る。彼の死は、世界中に広く伝わり、米アップル社の新製品発表会では、あのステイーブジョブがステージ上の盛田の遺影に哀悼の意を表したという。

松下幸之助
松下幸之助が総合電機メーカーの松下電器産業(現パナソニック)を創業したのは大正8年(1918年)のことで、当時彼は16歳であった。父の事業失敗により尋常小学校を4年で中退し9歳で火鉢屋に丁稚奉公に出され、自転車屋でも住み込みで働いた。その後、電気で走る市電や夜の街を明るく照らす電灯を見て、電気に興味をもち、自転車屋をやめて大阪電灯(現関西電力)に転職する。大阪電灯で働きながら、電球を簡単に取り外せる新型ソケットを考案、社内に提案するが、「専門知識が必要で危険」として拒否されたため、退職してソケット製造専門メーカーの松下電気器具製作所を立ち上げた。小さな町工場からスタートしたが、戦前には3500人の従業員を抱えるまでになり松下電器産業と社名を改めた。その後、日中戦争がはじまり、軍から兵器部品が発注されるようになり、機関銃やレーダー、砲弾部品などの生産を請け負うが、これが敗戦後GHQの目に留まり、資産凍結、社長以下全重役の公職追放のやむなきに至る。すべての資産凍結・指定解除が実現したのは昭和25年で、経営が傾き物品税も払えず、幸之助は「滞納王」との不名誉な呼び名をつけられたりした。それでも、持ち前の不撓不屈の精神と抜群のアイデアで会社を再生、昭和26年には電気洗濯機を発売、翌年には白黒テレビを、さらにその翌年には冷蔵庫を世に出した。
この間、幸之助は労働者が安心して仕事に取り組め、さらに効率やモチベーションを高められるとして、日本で初めて「終身雇用制度」や「週休二日制」を導入した。特に終身雇用制度は日本の高度成長の原動力となったといわれ、幸之助が「経営の神様」と称されるゆえんでもある。
また、全国の販売店や代理店を大切にする経営でも知られ、有名な「熱海会議」(昭和39年7月、東京オリンピック直前開催)では、販売不振・在庫過剰に苦しむほとんど販売店や代理店から、「3日間、怒号、つるし上げ」を食らう中、幸之助は率先して「共存共栄」のスローガンを打ち出し、一丸となって改革・再建に取り組む姿を身をもって示し、その後の新生パナソニックにつなげていった。
小生は本書以外のところでも、幸之助神話にはいろいろな場面でもじかに触れることがあり、以下のような素晴らしい人生訓にも出会ったりした。
1、 絶えず夢と希望を失わない・・・風呂敷は大きく。会社の計画は250年の長期で。我が全寿は140年、90歳でもあと50年ある。
2、 素直な心・・・嘘をつかない。色眼鏡で人を観ない。おごらない。こだわらない。「空の心」
3、 部下に語り掛ける・・・「人間好き」「人間浴」「有言実行」
4、 常に感謝と思いやりを・・・両親と7人の兄弟を若くして失い、20歳にして天涯孤独になった。その彼が、83歳の時、北海道帯広の士幌町農協組合長から全農会長になった大田寛一(かっぱえびせん、カルビーの生みの親)から「親子兄弟6人が六畳一間に猫のように抱き合って寝た」との話を聞き、「わしはまだ苦労が足らん」と言っていたという。

現存する名経営者の京セラ創業者稲森和夫は、「私の描く理想のリーダー像は幸之助翁とカーネギー(米)。一代でモノ作りから電気王、鉄鋼王となり、財産は社会還元した」と語っている。稲森自身の生き方や私塾「盛和塾」の精神、さらには数多の著作(「心」「生き方」など・・いずれも座右の書)からも、この幸之助精神と通底するところがうかがえる。

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