
京都府の北部丹波の峰山高から、テスト生としてプロ野球に飛び込んだ苦労人、野村克也さんが亡くなった。名物投手金田正一や星野仙一も先日姿を消し、プロ野球界は一時代が終わろうとしている。あと、ジャイアンツの長嶋と王を残す程度で、全盛を極めたプロ野球人気が復活するのか?かつてテレビにかじりついた一野球ファンとしては寂しい限りである。
野村選手の捕手、監督時代の思い出話に少し触れ「野村ワールド」にしばし浸ってみたい。
彼は、同世代の長嶋、王を常に意識しつつ野球人生を歩んできており、「王、長嶋がひまわりなら私はひっそり咲く月見草だ」と自らを評した。多くの名セリフの一つである。150冊にも及ぶ沢山の著書も残しており、人生訓や経営哲学に触れたものも少なくなく、ビジネス書としても示唆に富んだものが多い。また、優れた後輩を育てたことでも功績は大きく、古田敦也や田中将大などもその一人一人である。
翌日の中央紙が彼の訃報を「社説」として軒並み取り上げた。プロ野球選手の訃報としては珍しい。ある新聞は「語り部の喪失を惜しむ」とし、別の新聞は「野球の面白さを教えてくれた」とある。
そこでは、「野球の魅力や深みが存分に語られ、時に野球界の枠組みを超え、経営指南や人生哲学にも及びビジネスリーダーにも幅広いファンがいた」とあり、さらに「ID野球やストライクゾーン9分割による『野村スコープ』開発など知の人であると同時に、江夏のリリーフ復活や新庄の登用など阪神・楽天監督時代は戦力外選手にリカバリーのチャンスを与え『再生工場』と評されるなど人材登用では情の面も垣間見えた」と説く。有名な「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」の名言を引用、失敗から学ぶべきことの大切さも教えた。そのほか「捕手時代にはバッターボックスに立つ打者の耳元で囁いたり、盗塁王福本の足を封じるため投手にクイックモーションを伝授するなど、頭脳プレーを随所に駆使する稀代の策士でもあった」と紹介する。
私生活では無類の愛妻家(恐妻家?)でもあり、沙知代夫人を追うようにして眠りについた。今頃は天国で、奥さんの尻に敷かれているのかもしれない。息子思いでもあり、「父と同じ世界で過ごせたことがうれしい」と涙ながらに語る克則君の姿に胸が詰まった。
王はともかく、長嶋へのひがみが大きく、「長嶋はノー天気なところがあり、私(野村)のことをよく思っていない」と述懐していたが、先日の「金田正一お別れ会」で隣席の長嶋から「俺は生きてる。お前も長生きしろよ」話しかけられ頭を下げる野村の姿があり、以前から長嶋の素顔をいささか知る者の一人としては「繊細さを併せ持つ長嶋ならでは」とちょっぴりほっとしたところである。