
今年の冬は寒く、1月下旬に入り都心では最低気温が1970年1月以来48年ぶりの零下4度を記録した。
日陰になるとところどころ雪が残り、凍結した路面をおそるおそる歩きながら会社に向かうサラリーマンの姿が目立った。
この風景に出会うと、平成がスタートした頃に過ごした釧路時代の思い出が走馬灯の如くよみがえる。
毎朝の挨拶は、「昨日は何度でしたかね?」「そうですね確か7、8度だったようにおもいますが・・・」。零下が当たり前の釧路では、気温にはマイナスをつけない。
凍結した小学校のグランドは、周囲に板を張り水を流し込むとそのままスケートリンクになる。
スケートやアイスホッケーの有力選手を輩出するのもうなずける。
ダイヤモンドダストがキラキラと輝き、その中をエゾシカの大群が雪煙を挙げながら走り抜けていく姿に息をのんだこともある。
とある日の釧路新聞には、「根室行の列車が巨大なエゾシカに衝突して横転」といった記事が掲載され驚いた。
釧路川にはオホーツクから流れ着いた流氷が川面を埋めたりもする。
郊外の釧路湿原では、餌場に飛来した丹頂鶴の求愛ダンスに全国から押し寄せてきた数多のカメラマンがシャッターチャンスを狙って列をなす。
阿寒湖の湖面は分厚い氷に覆われ、湖上のあちこちに穴をあけワカサギ釣りに興ずる子供たちの姿が目立つ。
一方で、室内は二重ガラスと全室スチーム暖房が完備、ぽかぽかしたリビングでビールを飲む姿が窓越しに見える。
わずか2年半の釧路生活であったが、その鮮烈な冬の思い出は美しい自然とともに今も脳裏から離れない。