
あの石原慎太郎が2月早々この世を去った。
政治家というよりも作家としての印象が強い。長兄の政治家石原伸晃も「死ぬまでペンを離さなかった」としんみり語る。
気骨のある政治家として共感するところもいくつかあったが、ここでは作家慎太郎について感ずるところを綴りたい。
戦後色が色濃く残る昭和31年、芥川賞作家としてさっそうと文壇デビューした「太陽の季節」があまりにも有名だが、むしろ裕次郎を書いた「弟」や田中角栄を書いた「天才」に共感するところが多かった(いずれもベストセラー作品として、一時本屋の平積みを埋め尽くしたので、読んだ人も少なからずあるのでは?)。このほか、「完全な遊戯」「亀裂」「行為と死」「化石の森」といった代表作品があるが、ミステリー系統にも松本清張ほどではないが、傑作は多かった。とくに「汚れた夜」は弱冠28歳の時に発表した長編だが、麻薬と政治の腐敗を描いた上質なハードボイルド作品で大藪晴彦の境地をしのぐとの評価もある。
割腹自殺という衝撃的な最後を遂げた三島由紀夫も、作家石原慎太郎にはデビュー直後から注目しており、慎太郎が13歳の時に終戦を迎えた衝撃が彼に敗戦による喪失感を抱えさせ、戦後の日本を鋭く見つめた1990年の「わが人生の時の時」という優れた短編作品をものにしており、これを高く評価する文人も少なくない。
私小説作家西村賢太が、死の直後にとある中央紙に寄せた追悼文「胸中の人 石原慎太郎を悼む」の中で、冒頭「訃報に接し虚脱状態にある」と吐露しつつ「現代人の「生」への檄文」が読ませる。「私のごとき五流私小説書きに、慎太郎から開口一番インテリやくざ同志」といわれた思い出が深く心をえぐり、訃報に接し、目下虚脱状態にあると直後の心情を生々しく吐露している。
海にあこがれ、ヨットマンでもあった彼は稀代の詩人谷川俊太郎とも親交があり、俊太郎は「ヨットに乗せてくれたり、クレー射撃に誘ってくれた楽しい思い出が忘れられない。年下ながらもいろんな男の趣味を教えてくれた人生の先輩だった」としみじみと在りし日をしのんでいる。
人間的魅力にも溢れ、逝去の報に接した報道陣の取材攻勢に、「ぶっきらぼうな物言いにおののきつつも、温かいまなざしを失わない、はにかんだような笑顔が忘れられない」とか、「雲の上のような存在の割には細かい気配りがあちこちに感じられ、山積する都政諸課題への取り組みも果敢で、もっとも尊敬してやまない都知事だった」と涙ながらに語る若き都政マンの声も耳から離れない。在任中遭遇した東日本大震災時に人命救助のため緊急出動したレスキュー隊員を前に、涙にむせびながら感謝の気持ちを伝えた人間慎太郎に深い感動を覚えた若き都政マンの心に長く焼き付いて離れなかったのであろう。
ともに海を愛した弟裕次郎のために、海の見える神奈川県の海岸に裕次郎の灯台と石碑を立てたが、「その横に俺の灯台も並んで立ててくれ」と最愛の妻と四人の息子に頼んで旅立っており、その遺言がいまさらのように胸を打つ。