
石原慎太郎、曽野綾子対談の「死という最後の未来」なる作品を読んだ。
多くの書店で平積みされている、超話題作ゆえ、すでに読まれた方も多いのでは?と思う。
同種の著作には佐藤愛子さんの「90歳。何がめでたい」などの痛快本があるが、本対談はお二人の平素の「生き方」や「死生観」が正反対(そう思われる)なお二人だけに、「どんな対談になったのか?」「取っ組み合いになっているのでは?」とある種の興味を持ってページをめくってみた。
年齢差はわずか一歳、同時代をたくましく生き抜いたお二人だが、ともに筆力が優れ、かたやスーパースター裕次郎を弟に、かたや稀代の文化・教養人三浦朱門を最愛の夫に、この「類いまれなる身内」について二人とも「極めて自然体でさらさらと思い出を問答の形で褒め合い、慰め合い」ながらも、ことがそれぞれの生きざまともなると、慎太郎が法華経と哲学について、曽野綾子がキリストの信仰について、みずからの生き方のバイブルとして、雄弁に語りつくしており、その言葉の端々からは一切の妥協や共感を許さない。
いくつか極めて示唆に富んだそれぞれの「語り」があり、結構共感を覚えた「タイムリーな肉声」ゆえ、以下に列挙してみたい。
第一章 他人の死と自分の死
慎太郎
「書けなくなったら死んだほうがいい」
「父の死で変わった子供(兄と弟)の未来」
「三島由紀夫からの手紙」
「老衰は死に向かっての『生育』」
綾子
「人の死は神の領域」
「失明寸前となって救われた」
「50歳で新しいことに挑戦(サハラ砂漠に行く)」
第二章 「死」をどうとらえるか
慎太郎
「成仏とは何か」
「お釈迦様が説いた仏教の一番の原点」
「宇宙には地球のような惑星が200万ある(ホーキング)」
綾子
「目に見えない何か、はある」
「『信仰を生きる』ということ」
「人生には運命としかいいようのないことがある」
第三章 「老い」に希望はあるのか
綾子
「介護は家族だけで背負ってはいけない」
「夫を自宅で看ようと決めた日」
「命の長さは神が決めること」
慎太郎
「年をとっても矍鑠とかっこよく生きたい」
「今でも毎日トレーニングは欠かさない」
「勉強には魂を満たす楽しさがある」
二人
「『ありがとう』は感じのいい日本語」
「悲しみは人生を深くしてくれる」
「コロナ禍にどう向き合うか」
「人生で出会った人たちを探して、お礼を言いたい」
「生涯は単なる旅路に過ぎない」
当人にしか知りえないエピソードがふんだんにあり、平易な語り合いとあって、読みやすく、老いをいかに生きるか結構参考になるところも少なくなく、広く一読をおすすめしたい。